鎮西学院を創立したのはC.S.ロング博士。
はるばるアメリカからやって来たキリスト教メソジスト派の宣教師です。
同じころメソジスト派の宣教師によって創立された学校に
青山学院、関西学院、活水学院などがあります。
ロング博士は創立当初の生徒たちにこういっていました…
「Be Christian Gentlemen!」
(キリスト教精神をもった紳士になりなさい)
…紳士とは「品性高潔で、素養があり、身なりもきちんとした男性」という意味。
当時は男子校だったので、「紳士」となるわけです。
「キリスト教精神」は、「隣人愛」という言葉に代表されます。
この隣人愛とは隣近所の人とか、周囲の人という意味だけでなく、もっと幅の広いものです。
以下の話は聖書(キリスト教の経典)に出てくるもので、
「隣人愛」をもっともよく表しているとされています。
ある人がイエス(イエス・キリスト)に、「わたしの隣人とはだれですか」と尋ねた。
イエスはお答えになった
「ある男が旅の途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、
殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
同じように、別の人がその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていた3人目の男は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、
近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
そして、翌日になると、銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思いますか。」
イエスに質問をした人は答えた。「その人を助けた人です。」
そこで、イエスは言われた。
「行って、あなたも同じようにしなさい。」
また、次のような言葉も聖書に記されまます。
これも「キリスト教の愛」をよく言い表しています。
愛は忍耐強い。
愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。